東大生ひこの挑戦記

東大模試で2回全国1位をとった東大生の一風変わった挑戦記

僕はもう一度「革命家」を目指します。仏教を学んで考えたこと。

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こんにちは、ひこです。

1週間ほど前、正確には2019年7月22日〜7月24日の2泊3日で、タイ北部のWat Pa Tham Wua というお寺に修行に行ってきました。

 

食事(朝・昼の二回)、宿泊が無料で、瞑想・歩行瞑想・読経の修行を一日に八時間以上しました。

僕は無駄な時間を過ごすことがとても嫌いで、瞑想の正しいやり方や瞑想をやるべき理由を分からずに瞑想を何時間もすることは嫌でした。

幸いこのお寺には、英語・中国語・ロシア語・日本語など様々な言語の仏教に関する本が置いていたので、隙間時間はずっと読書をし、3冊半の本を読むことができました。

その本から学んだ仏教の教えは、とても納得できるものでありながらまさに目から鱗で、僕の考え方を変えてしまいました。

僕の考え方がどう変わったのか、本に書かれていた仏教の教えとは、についてみなさんにシェアしたいと思います。

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これまでの僕の考え

 これまでの僕の考えは、一言で言えば「楽しいと思うことを追求しよう」というものでした。

この考えになるまでには長い道のりがあり、下の記事の「将来への焦り」という項目で簡単にではありますが書いています。

 

www.hikolog.com

 ここでは僕の考えについてもう少し詳しく書かせてください。

 

高校一年生の頃から、僕の将来の夢は「革命家になること」でした。

世界規模の課題を俺が解決してやるんだ、と息巻いていました。

では革命家になる(世界規模の課題を解決する)には何をすればいいのか、それは誰にもわかりません。

なんせ成し遂げた人は過去には存在しないからです。

僕の高校三年間、そして大学最初の一年間は、その道筋を模索し続けた4年間だったと言えるでしょう。

 

「起業してお金と影響力を持てば世界規模の課題解決に近づくんじゃないか」

と思ったりもしたけど、はっきりとした道筋は見えなくて、悩み考えているだけで何も行動できていない自分にもどかしさを感じていた時、大きく二つのきっかけが訪れました。

 

一つはよんなな学校というイベント。

著名人の講演や積極的に活動している同世代の学生との交流を通して僕が得たメッセージは、後先のことなんか考えずとりあえず行動してみなよ、というもの。

 

もう一つは母親との対話。

無理に自分を犠牲にしようとしないで、自分が楽しむことを考えてみなよ、というメッセージ。

 

悩んでいた時に彗星の如く現れたこの二つのメッセージを、僕はただ合体させただけ。

楽しそうという直感に従って行動しよう、と。

 

この考えは一見、野心とは無縁、むしろ正反対かのように響きます。

ですが想像してみてください。

「革命家になって世界の課題を解決したい」

これがどれだけ野心的な夢かを。

こんな大きな野心があっさり消えるでしょうか。

 

「楽しそうという直感に従って行動しよう」

この考えにはまだ奥があります。

 

それは、自分が満たされていない状態で他人を満たすことはできないということです。

 

シュバイツアーという、アフリカで医師・牧師として尽力した偉人がいます。

彼は「三十歳までは、自分の好きな音楽のために生きることを許してもらいたい。それからのちは、人類への奉仕に身を捧げたい」

と二十一歳の時に決心を固め、全くその通りの人生を全うし、牧師、学者、そして音楽家として活動し、のちにアフリカ医療救済に献身した人物です。

 

彼の生き方はまさに「自分が満たされていない状態で他人を満たすことはできない」という考えを体現しているように感じます。

僕が世界の課題を解決したいと思うのも、どうせ生まれてきたなら世界にいい影響を与えたい、世界の人たちの役に立ちたいという思いからです。

でもそれが義務感になってはいけないと思うのです。

自分が幸せを、満たされていると感じることで、自然と周りに目を向ける余裕ができ、満たしてあげたいと思う。

その自然さが大事なのではないかと思うのです。

 

どういう時に満たされると感じるかは人の価値観によって異なりますから、

人の役に立って感謝された時に幸せを感じるという人は、ものすごく良い循環が生まれますよね。

だから必ずしも、

「シュバイツアーのように、人の役に立つこと以外で自分を満たしてから人助けをするべきだ」

と考えているわけではなく、

「人の役に立つことをしている時には自分も幸せであるべきだ」

という風に考えているということです。

 

僕は論理的に考えすぎるのが嫌いだし苦手でもあるので、過去の偉人をまた参考にしてみます。

例えばスティーブ・ジョブズは、世界の人々の暮らしを改善するにはどうすれば良いか?という問いから逆算的にコンピューター業界に進出したわけではないと思います。

コンピューターが好きで好きで、開発を続けているうちに人々の役に立つ革新的な製品を作れるようになったのだと思うのです。

 

坂本龍馬にも同じようなことが言えます。

坂本龍馬は日本の夜明けに献身的に貢献した人物です。

彼は船がものすごく好きで、海軍操練所(武士に船の操作方法を教える場所)の塾長にもなったし、亀山社中という貿易会社も立ち上げました。

幕府を倒すための方法として、あくまでも船にこだわり続けた人でした。

 

人の役に立つことと、自分の好きなこと・楽しいこと、は密接に関わってくる、これが僕の結論です。

 

つまり何が言いたいかというと、

「楽しいことを追求しよう」と考え方を変えた時に、それまでの野心を捨てたわけではなく、「楽しんだ先に成功がある」と思ったということです。

 

そして実際に楽しいことを求め始めると、僕の行動力はみるみる上がっていきました。

ヒッチハイクをしたり狩りをしたり、高野山にこもったり、オーストラリアにワーホリに行ったり、東南アジアを旅したり、楽しそうなことにはどんどん手を出していきました。

2019年7/31現在は東南アジア一周の途中で、9月には日本に帰る予定です。

帰ってからやりたいことも決まっていました。

「モバイルハウスに住みたい」

旅をしながら暮らす、こんな幸せなことはありません。

大学は休学して、モバイルハウスでバーを開きながら日本一周したり、モバイルハウスで宿泊業を開こう、と。

 

楽しいことを追求していく中で僕が困ったことは、アイデア面ではなく”お金”でした。

前の記事でも書いた通り、↓

 

www.hikolog.com

 やはり旅をするにはお金が必要だし、帰ってからやりたいモバイルハウスにしても、

免許を取るのに2,30万はいるし、車を買い、改装し、屋根にはソーラーパネルをつけて、など莫大なお金が必要です。

自分に何不自由ないお金があればこんなつまらないことで悩まなくても楽しいことをし続けられるのに、と何度思ったことか。

 

このように、人生の次はお金という悩みに直面していた時に、僕はタイのお寺に修行しにいくことになったのです。

 

仏教の教えとは

 この項では、僕が読んだ三冊半の仏教本のなかで、僕が感銘を受けたものを、文体こそ僕のものですが、内容はできるだけ本にあったまま記していきます。(読んだのが1週間以上前なのであやふやなところがあります)

僕の考え方の変化を説明する際に必要になるし、すごくいいなと思ったので皆さんにも伝えたいからです。

僕の文章力不足や、本の内容がどんどん頭から抜けていっているせいで、説得力に欠けた内容になってしまっている自覚はあります。

帰ったらもう一度同じ本を読み直すつもりです。

その後で、正しくわかりやすくリライトしておきます。

 

・心を鍛える必要性

進化とは、正しく言うならば”変化”であり、必ずしも良くなっているわけではありません。

過酷な環境下に置かれた時に、適応し生き残るために変化するだけです。

これは肉体の話ですが、心はどうかと言うと、良い環境でも悪い環境でも”退化”します。

金持ちの家に生まれ親にも甘やかされ何不自由ない暮らしをしていると心は廃れていきます。

逆に親に虐待される過酷な暮らしでも心は廃れてしまいます。

つまり、何もしないと心は退化する一方なので、意図的に良い方に進化させる必要があります。

 

・仏教の目的

脳には、原始脳(本能)と大脳(理性)があります。人間は他のどの動物よりも脳が発達していると言われますが、それは大脳が発達しているからで、原始脳の知能は他のどの動物とも変わりません。原始脳は獣のままなのです。

原始脳には、存在欲・怯え(怒り)・無知の三つの要素があるだけです。

不幸なのは、原始脳(主)と大脳(従)には主従関係があることです。

例えば、人間は戦争はいけないと頭ではわかっていてもやめることができません。

仏教は、原始脳と大脳の主従関係を逆転させることを目的としています。

そのための手段として瞑想があります。

 

・大脳に支配権を与える方法

大きく4つの方法が書いてありました。

一つ目は、五戒(不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒)の実践です。

五戒は、絶対善でありながら、原始脳の欲求とは正反対な内容です。これを守ることで徐々に、大脳に従うことに慣れていきます。

 

二つ目は、道徳・慈愛の実践です。

これも理由は五戒と全く一緒です。

 

三つ目は、瞑想です。

人間はいつも妄想や雑念に囚われ、今を生きることを忘れてしまいます。

妄想や雑念は原始脳の働きだと仏教は説くので、瞑想で呼吸に集中し雑念をなくすことで、大脳に支配権を与えられるようになります。

 

四つ目は、感情を無くし、感覚で生きることです。

仏教は、感情は強いエネルギーを持ち、人生に悪影響を与えるものだと説きます。

何か事件が起きた時、周りの人が

「まさかあの人がそんなことをするなんて。信じられない。」

というコメントをすることがよくあります。

普段どれだけ理性的な人でも、いっときの感情(特に怒り)を抑えられず暴力に走ってしまいます。

それほど感情というのは強力なのです。

では、感覚で生きるとはどういうことかというと、

雨が降ってきた時は、「雨だ。」と感じるだけで、「雨だ。嫌だな。」とは思わない。

例えばそういうことです。

他のいい例えが本には書いてあったのですが、忘れてしまいました。

つまりは、物事をありのままに見るべき、ということでしょう。

 

・幸せとは

仏教は、こころを重視し、自分の肉体を含む全ての物質にこだわりません。

その理由は、全てのものは無常だからです。

肉体だっていつかは死に滅びますよね。

もちろん、お金にもこだわりません。

人は、最低限の食事をとり、最低限の寝床があり、そして最後に、仕事があれば幸せなんです。

 

今の僕の考え

 今のタイミングで仏教に出会えて良かったなと思う理由は、大きく二つです。

 

一つは、自分の目指す人間像を明確にしてくれたこと。

僕は高校一年生の頃から、自分を成長させようとしてきましたが、どういう人間を目指しているのかがはっきりしたことはありませんでした。

強いて言えば「かっこいい男」になるぞ、とかそんなレベルです。

巷では「成長」という言葉はよく使われていますよね。

このインターンに参加すれば、この困難を乗り越えれば、君は成長できるよ、みたいな。

僕には、世間で言われている「成長」という言葉には、はっきりした基準なんて存在していないように感じられます。

僕も基準なんてない中で、成長しようともがいてきました。答えのない戦いです。

でも、仏教は初めて答えを与えてくれたように感じます。

それは「大脳が原始脳に勝った人間」です。

噛み砕いて言えば、

「慈愛を持って人に接し、雑念や妄想にとらわれることなく今に集中し、感情に振り回されることなく理性で生きている人間」です。

しかもご丁寧に、そのような人間になる方法まで教えてくれています。

 

僕は別に仏教を”信じている”わけではありませんが、せっかく方法とゴールを教えてくれてるんだから試してみよっかなーという感じです。

とりあえず成長、なんてボヤけているより全然いいです。

 

もう一つは、幸せとは、「満たされている状態」とは、本当に小さいことであると教えてくれたことです。

お寺に来るまでは、モバイルハウスで日本を周って楽しみたいのにお金がない、と悩んでいました。

なんて贅沢をしようとしていたのでしょう。

よくよく考えてみれば、家と食事と何かやることがあればそれで幸せだと納得できるのに、僕は「モバイルハウスが欲しい、日本を周りたい」と大きなものを望み、

そして”勝手に”お金がないと悩んでいたのです。

僕の悩みは、僕が生み出したものだったんです。

 

上の段落だけを読むと、僕が「悩みたくなければ質素に生きろ。高望みはするな。」と消極的な、逃げのようなことを書いているように感じられるでしょう。

でもそれは違います。

タイトルにもある通り、僕はもう一度、野心を取り戻したのです。

このことを理解するには、もう少し我慢して読んであげてください。

 

 僕はこの半年間ずっと「楽しい」を追求してきました。

「自分が思う存分楽しめたら、いつか人を楽しませられる日が来るだろう」と信じて。

その想いに従って、今は東南アジアを旅しています。

そして、面白いことに、楽しいことのアイデアってぽんぽん出てくるんですよね。

僕の”楽しいことリスト”はまだまだ尽きることがないのです。(旅をしながら暮らすことが僕の価値観に合うらしく、今のところモバイルハウスしかないですね。笑)

・モバイルハウスでバーを開きながら日本一周

・モバイルハウスで宿泊業を開きながら日本をフラフラ

・モバイルハウスでアメリカ大陸縦断

・モバイルハウスで世界放浪

 

このリスト、実現できればめちゃくちゃ楽しいことは確実です。

でも同時に、めちゃくちゃお金がかかることも事実です。

というかもはや貴族の遊びですよねこれ。

これだけのことを実現できる環境がどれだけ恵まれたことか、ということを僕は忘れていました。

だから僕は、「このリストを実現できれば幸せ、できないならば不幸」という思考になり、お金がない自分を嘆いていたんです。

つまり、楽しいことを求めるうちに、自分の中で「楽しい・幸せ」の基準がグングン上がってしまっていたんです。

でも仏教に触れて、家と食べ物があるだけで幸せやんって思うことができました。

気づけて本当に良かった。

 

そう思って改めて僕の楽しいことリストを見てみると、

めちゃくちゃ独りよがりだなと気づきました。

自分が楽しいだけで社会に何もいい影響を与えないのです。

 別にそれが悪いことだなんて言いません。

でも一項で書いた通り、僕には人の役に立ちたいという野心があり、そのためにまずは自分を満たそうとしてきました。

でも実は最初から僕は満たされていたんだと、今の状態で十分幸せなんだと思えた今、もっとでかい幸せを、、と終わりのない欲望に従うよりも、社会のためになるよう頑張る時なんじゃないかと思うのです。

 

それにこれは自分に強制している訳ではなく、僕が望むことでもあるのです。

 この旅でたくさんの旅人に出会いました。

僕は、旅人こそが一番「楽しい」に素直な人間なんじゃないかと思います。

今日どこへ行くか、何をするか、全てが自由です。

「楽しい」を追求していた僕には、旅人こそがゴールのように映りました。

でも僕は、人生を謳歌している旅人たちに「もったいないなあ」と思ったのでした。

旅人は究極の自由を謳歌しながらも、社会にはなんの影響も与えないのです。

全てが自己完結なのです。

それだけ充実しているなら、他の人にも還元したらいいのに。そう思いました。

確かこのもったいなさを感じたのは6月のバンコクでのこと、お寺に行く前です。

やっぱり僕のこころは、楽しいのその先を見据えているのです。

 

じゃあ結局日本に帰ったら何をするのかというと、全くの白紙になりました。

とりあえず、いらないものは全部捨てて、ミニマリストの生活をします。

 

あとは、ただただ、人の役にたつことをしよう、といういわば”健全な野心”があります。

そして第一項でも述べた通り、それは僕の好きなことと結びつき楽しいものであるべきです。

僕には、これが好き、という物が今のところありませんが、この半年間の旅を通して気づいたことがあります。

それは、友達の大切さ、です。

僕は一人でなんでもできる、とずっと思ってきたので本当に意外でした。

オーストラリアに身一つで乗り込んだ時、孤独を感じ、自分が今までどれだけ周りの友達に支えられていたかを実感しました。

東南アジアを周っている時、友達がいればもっと楽しくなるのに、と感じました。

「仲間と共に一つのことに熱中すること」

それが僕の好きなことであり楽しいことだと思います。

 

ひこと一緒に何かやってみたい(やってあげてもいいよ)、

こんなおもろいことしたいんやけど、一緒にやらん?

みたいなのお待ちしてます。

僕は僕で取り組みたいことを考えておくので。

 

ということで、

今までなんか一人で好き勝手やってた奴が、これからは献身的に活動するし仲間も募集してるらしい。

という文章でした。

 

それでは最後に、宣言しておきます。

 

僕は「革命家」になります。

できるだけ多くの人の役にたつ男になります。

 

ここまで読んでくれた方、本当にありがとうございました。

 

続く、

 

ひこ